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【サンプル】虹の向こうへ、どこまでも

表紙

cover sample

トワイライトPPで虹がかかります cover-photo

文字組

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小説

ロング・ロング・ロード(津槙)

プロローグ

「車貸しますよ」
 茅君はにっこりと微笑んだ。彼の嬉しそうな顔を見ると僕も嬉しくなる。
「俺、先生と賢太郎が仲良くしてくれると嬉しいんだけどな」
 白峰君はやんわりとした口調だった。この子のこういうところが妙に大人っぽくて素直に頷きたくなる。
「先生は賢太郎のこと嫌い?」
 和泉君は上目遣いで僕に問う。この純粋そうな瞳を向けられるとノーと言うのはものすごく悪いことをしている気になる。
「たまにはゆっくりして来いよ。一緒にいたら案外賢太郎と仲良くできるかもしれないだろ?」
 辻村君は少しだけ照れくさそうに告げた。こんな風に彼が言ってくれるようになったなんて、先生嬉しいです。
 だけどね、だけどどうしても――。
「津久居君と旅行とか絶対無理!」
 この子たちの期待を裏切るのは心苦しいけど、津久居君と二人で旅行なんてちょっと想像しただけでも嫌だった。偉そうだし、自分勝手だし、絶対楽しくない。
「マッキーが嫌って言うならやめようよ」
 遅れて食堂に入ってきたのは久保谷君と御影君だった。
 久保谷君は言いにくそうに、けれどはっきりともう一度「やめよう」と言った。
 それを聞いて逆に嫌とは言いづらくなった。久保谷君が僕のことを考えて、他の子たちに異を唱えているんだと思うと、申し訳なさでいっぱいだった。
 そして最後の一押しで僕は負けを認める。
「やっぱり先生は兄ちゃんのこと許せない? 兄ちゃんのこと嫌い?」
 御影君はしょんぼりとした顔で僕を見つめてきた。ここで嫌いと言うのは教師失格。いや、人間失格だろう。
「僕はいいんだけどさ……津久居君が嫌がるでしょ。僕と二人で旅行とか」
 慌てて弁解すると御影君はにかっと笑った。
「大丈夫。兄ちゃんには了解取ったから!」

 こうして僕と津久居君は一泊二日の二人旅に出ることになった。
Act1

 BMWの乗り心地は相変わらず軽快だった。窓を開ければエアコンなしでも涼しいくらいの気温もドライブには上々。これで助手席にいるのが女なら、と思わずにはいられない。
「ラジオのチャンネル変えていい?」
「ああ」
 槙原は退屈そうにカーラジオのチャンネルをいじる。最初の一時間は世間話と毒にも薬にもならない身の上話で潰した。その後は大した会話もなく、お互いラジオから流れてくる音楽とくだらないDJのトークに耳を傾けていた。
 俺と槙原はこうして旅行に出かける仲ではない。けれど清史郎たちが「俺と槙原を仲良くさせる作戦」なんてものを思いついたせいで、せっかくの休みに男二人で旅行なんて馬鹿なことをしている。
 朝、幽霊棟まで槙原を迎えにいくと、行き先も聞かず助手席に収まった。それから一時間、まだ俺たちは友好的な態度をとり続けていられる。
 俺は槙原渉が嫌いではない。正確には嫌いでなくなったと言うべきなのか。愚かな塾講師という単純な印象を引きずるには、彼のことを知りすぎてしまったのかもしれない。
 今の俺は槙原渉という人間の顔をよく描けるようになってしまった。迂闊で子供っぽい反面、妙に頑固なところもある。柔和な顔の裏で、すべてを投げ打つような激しい気性も持ち合わせている。アルコールに強い。生クリームが苦手。気を遣いたがるのに、気を遣うのが苦手。
「おい槙原。眠そうな顔してるならいっそ寝ろ。こっちも眠くなる」
 言葉は自分が思っていた以上にとげとげしく響いた。今にも眠りそうなのを必死に我慢している槙原に対して思わず溜息をつく。
「大丈夫……だよ。運転してもらってるのに僕だけ寝るわけいかないじゃない」
「だったら眠そうな顔もするな」
「じゃあさ。なんか話そうよ」
「なんかってなんだ」
「今それを考えてるんじゃん」
 少し機嫌を損ねたような槙原の顔は子供のようだった。
「何拗ねてるんだよ」
「拗ねてないし」
「なあ」
「何」
「何でお前は俺と出掛ける気になったんだ?」
 槙原は朝から今まで少なくとも俺に対して不満はこぼさなかった。
「みんなが君と仲良くしろって言うから……」
「まあそういうことだろうな」
「それに――確かに僕は津久居君のこと、よく知らないから」
 ちらりと槙原を見る。窓から入り込む風が髪を揺らしていて表情は読めない。
「知らないのに嫌いとか好きとか言いたくないなって」
「お前は俺のことを十分に知ってるだろう?」
 煙草をくわえて火を付ける。
「知らないよ」
 吐き捨てるように槙原は言った。
 幸いにも道路は渋滞していなかった。カーナビが言う通り走ればあと四十分ほどで到着するだろう。
 槙原は正しく生きようとする男だ。公正に、優しく。子供に胸を張れるような大人として。だが、そんな風に人間上手くいくだろうか。
「お前は俺を恨んでないのか?」
 思わず呟いた声に返答はない。隣を見ればうとうとと眠っている槙原が目に入った。
「クソッ」
 アクセルを少し踏み込んで速度を上げる。
 とっとと目的地にたどり着いてしまいたかった。

水底の約束

Recollection A

 信じられるものはただ一つだった。でもその一つがあれば僕は生きていけると思っていたんだ。

 引き裂かれたクリスマスカードと目の前にいる久保谷の顔が滲んで見えた。
「ごめんなさい」
 久保谷は声を震わせて、涙を堪えていた。
 僕のすべてを奪って、与えた人。白峰春人だった人。
「久保谷」
 名前を呼んで抱きしめた。ここからもう久保谷がいなくなったりしないように。
「頼みがあるんだ」

 ここに久保谷がいるのは、僕を終わらせるためなんだろう。それだけが救いだった。
1 僕の幸福な日々の話

 もはや習慣となってしまったランニングは東京に引っ越してきてからも止められなかった。高校のころほど気持ちよく走れる場所は少ないのだけれど、それでも澄んだ朝の空気を浴びて走るのが変わらない僕の日課だった。
 マンションに戻るとそれこそ幽霊棟とは違う匂いが僕を出迎える。
「おはよう茅サン。メリークリスマス」
 久保谷はエプロンを締めて台所から顔を出した。言われて初めて今日がクリスマスだと気づいた。
「おはよう」
 大学に入って久保谷と父のマンションでルームシェアを始めた。僕は一人暮らしができるほど家事に詳しくなかったし、久保谷はお金がなかったからちょうどいい。久保谷に少しずつ家事を教えてもらうということで、最初は遠慮していた久保谷もルームシェアに同意してくれた。
 朝食は久保谷の仕事だ。幽霊棟にいたときと違ってたいていは洋食だった。
「いただきます」
「いただきます」
 二人で手を合わせていつものように朝食をとる。大学も一年目は朝から授業というところが多い。早起きが苦手な白峰は、それを先日も散々ぼやいていた。
「そういえば」
「うん?」
「茅サン年末年始どうすんの?」
「実家に帰るよ。久保谷も神波さんのところに行くんじゃないの?」
「まあ……どっちかっていうとマッキーに会いに行くってつもりなんだけど……」
 トーストをかじる。よくよく部屋を見ると壁にサンタクロースの恰好をしたクマのストラップがぶら下げられている。久保谷のセンスはよくわからないが妙に可愛らしい。
「羨ましいな」
「うん?」
「白峰も辻村も和泉も、年始は遊びに行くと言っていたから」
「茅サン来れない?」
「四日には行けるかもしれないけど」
「それならさっちゃんはもう帰ってるかもなー。レンレンとハルたんはまだいるかも?」
「どうしても年末年始は忙しくなってしまうから。また別の機会に会えればいいよ」
「それならレンレンも寂しがってたし、またうちで鍋パーティーでもする?」
 時間が合えば理由をつけてこの部屋で集まった。それぞれに忙しくしていたし、清史郎がそれを知ると羨ましがるのでそれほど頻繁ではなかったけれど。
「今日も集まれないしね」
「そうそう」
 クリスマスはそれぞれ予定があるらしい。予定のない僕と久保谷は二人でクリスマスを過ごすつもりだった。
「ケンタッキーを買ってくるよ」
「やった」
 久保谷が好きなファーストフードを僕が挙げると彼は笑った。嬉しそうな顔を見ていると僕も幸せだった。
「じゃあ僕は先に行くから」
「ん。行ってらっしゃい」
 朝九時から授業のある僕は一足先にマンションを出た。



「おはよう」
「あ、茅。メリークリスマス!」
 大教室の隅に見知った同級生を見つける。
「なあなあ。今日予定ある? うちで予定ないやつらで集まってクリスマスパーティーすんだけど……」
「一応予定はあるよ」
「……もしかして前にメールしてたミハルちゃん?」
「久保谷のことかい? 予定は久保谷と一緒だけど」
「そうだよ! クボヤミハルちゃん! お前彼女じゃないとか言ったくせによう……」
 前に携帯で小文字を打つ方法を尋ねた時に久保谷の名前を見たのだろう。勘違いを正そうと思ったけれど、ちょうど授業開始のチャイムが鳴る。教壇にはすでに先生がいて会話を続けるのは憚られた。
「なあ……そんでそのミハルちゃんとはうまくいってんだろ?」
 小声で彼は最後にそう訊いてきた。
「そうだね。関係は良好だよ」
 誤解を解かなかったことを少し申し訳なく思いながら、僕は答えた。



 午後最後の授業を終えて教室を出ると、大学構内はざわざわと浮ついた空気が漂っていた。クリスマスのせいかもしれないし、明日から始まる冬休みのせいかもしれない。
 帰りは久保谷のほうが遅くなりそうだった。ケンタッキー担当が僕で、ケーキ担当が久保谷。プレゼントは数日前に用意してある。
 大学の最寄り駅から地下鉄に乗り、十分ほどで乗り換える。乗り換えの駅にはやたらと大きいビルが併設してあって、そこのケンタッキーに寄る。クリスマスのせいかいつも以上に賑やかだった。
 用事を済ませて電車に乗ると、十五分ほどでマンションに着く。途中で一生懸命短い文面のメールを久保谷に送ると「頑張って早く帰るね」と絵文字付きのメールがすぐに帰ってきた。
 コートをハンガーに掛けて暖房を入れるとやっと一息ついた心地がした。高校時代のクリスマスといえば生徒会で散々働いていたか、津久居さんを監禁していたか、受験勉強をしていたかであまり楽しかった記憶はない。
「静かだ……」
 街中の喧噪とは正反対にこの部屋は静かだった。自分と久保谷だけが暮らしているこの部屋は、三年間過ごしていた幽霊棟よりもずっと小さく、穏やかに時間が流れる。
 壁に掛ったクマのサンタクロースが僕を見て笑っていた。



 ドアが開く音で意識がふっと戻った。どうやらソファの上でぼんやりしているうちに眠っていたらしい。時計を見ると帰ってきてから三十分ほど過ぎていだ。
「ただいま。待たせてごめん」
「いや……」
「茅サン寝てた?」
 外が寒かったせいか久保谷の頬は赤く染まっていた。寒そうだと思って久保谷の頬に手を伸ばすと、彼は肩をぴくりとふるわせた。
「茅サン!? な、なんスか!?」
「冷たそうだったから」
「あ、ありがと。大丈夫だよ……」
 両手で彼の頬を挟むと、少しずつ僕の手と久保谷の頬の温度が混ざっていく。その割に彼の肌の色は変わらなかったけれど。
「夕飯にしよ?」
 慌てたように久保谷が言った。
 テーブルの上には僕が買ってきたケンタッキーと久保谷が買ってきたケーキの箱が並んでいる。
 それに加えて冷蔵庫に入っていたサラダと、辻村がくれた白ワインを開ける。未成年だということに、今日だけは神様も目を瞑ってくれるだろう。
「乾杯」
「乾杯」
 久保谷は僕にプレゼントをくれた。落ち着いた深いグレーの手袋だ。僕も彼にプレゼントを渡す。僕が選んだのは綺麗な青の万年筆とクリスマスカードだ。
 久保谷は泣きそうな顔をして喜んでくれた。それを見てこうやって彼と二人で過ごすクリスマスも悪くないと思う。
 明日には実家に帰るのかと思うと少し気が重くなるくらいに、僕はこの日々を気に入っていた。



 僕も久保谷もたくさんのことがあった。
 けれどこの一年間、僕はとても幸福だった。


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