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2022年2月の読書日記

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📅 2022-03-10

月一で書いているのに日記とは…と思ったのだが、細かいことを気にしていてもしょうがないので2月の本のまとめ、そして今考えていることを書く。

2月の読書は7冊。加えて同人誌もたくさん読んだのでインプットの多い月だったと思う。2月頭で原稿が終わったからですね。


西尾維新20周年

20周年!?と思った。ついこの間10周年で騒いだ気がするのに。

私が新本格と呼ばれるジャンルに手を出し始めていた時期と西尾維新のデビューはほぼイコールで、つまり20年一緒に歩いてきてるわけだ。

私と西尾維新作品はつかず離れず、どっぷりというほどでもないが、戯言シリーズから始まり物語シリーズ、人間シリーズ、ノンシリーズものまで読んできた。

ここ数年ちょっと離れていたのだが、ずっと積んでいた『掟上今日子の備忘録』を最近手に取ったところ、思いのほか楽しめたので、シリーズをまとめ買いして読んでいる。

忘却探偵シリーズはドラマ化した時に見ていて、ちゃんと西尾維新テイストもありつつ、ドラマとしてよくできていて面白かった。オリジナルキャラクターも多くてかなりアレンジが入っていたけれど、いいドラマ化だったのではと思ったら脚本が野木亜希子だったのでさもありなんという感じだ。

読了日基点で言うと3月にかかるけれどシリーズ二作目の『掟上今日子の推薦文』も面白かった。一作目の助手ポジションである隠館厄介が登場しないところに驚いた。調べてみたら二作目で助手ポジションである親切守とそれぞれレギュラーキャラなのね。

記憶が1日しか持たない探偵というトリッキーな設定はあるものの、推理ものとしては王道で、おそらく『サイコロジカル』を手に取ったときの私(これが初西尾維新だった)が読もうと思っていた推理小説はきっとこういう感じだ。

神神化身 願いの始まり

とうとう出たかみしん連載小説書籍化。しかし、読み始めたら書籍化というか本当に再構成された新しい作品になっている。

ファンとして連載小説を純粋に紙にまとめたものも読みたいなと思いつつ、インターネット上に公開しているものをそのまま載せないという姿勢が好ましい。

かみしんの入門はどこから問題に関して私はずっと舞奏曲集壱のドラマトラックがいいのではと思っていた。物語の始まり、闇夜衆は出会い、櫛魂衆は再会の物語だ。このドラマトラックが小説として書き下ろされているのに、自分の勘は間違ってなかったなと思う。

ふせったーのゆかくらに言及した感想もメモとして残しておく。

とりあえずここから読めばいいんじゃないかという一冊なのだけど、ハードカバーは価格帯的に手に取りづらいよな…という気持ちだし、春惜月の回想と電子版でシリーズが分かれてしまうことや並べた時の装丁の統一感のなさなど、いまいちハードカバーにした良さは感じない。(せめてやるなら春惜月の方をハードカバーにするべきだったと思う)他の斜線堂先生の文芸書と並ぶようにとのことだけど、普通にライト文芸の棚にあったんだよな…。

私のリアル知り合いで気になってるという方がいれば送りますので何卒。

こうしてあなたたちは時間戦争に負ける

書簡体小説というのは私とあなたの物語だ。だからこそ、書簡体小説で恋愛を描くというのはある種チートというか、私とあなたの間にある感情の連なりなのだから魅力的でないはずがない。

ただ、書簡体小説の弱点として、私とあなたの外側にある世界を描くのはとても難しいと思う。書簡体小説といっても地の文とも言うべき手紙でないパートが存在する小説もあって、それは外側の世界を語るために必要なのだと思う。

『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』も地の文にあたるパートもある。けれど語られる世界の全容は容易に理解できるものではない。最後までよくわからないと思いながら読むのに最後にはタイトルの意味も、世界の形もなんとなくわかる。そしてわかったからこそ、レッドとブルーの出した結論・決断が鮮やかに見える。

自らの暴力性に向き合って語ること

実際の戦争についての言及があります。

原稿中に既読の作品を読み返したいと思って『マレ・サカチのたったひとつの贈物』を読み返した。この作品は現代よりも少し未来を想定した作品で、恐慌とそれによって引き起こされる混乱、その中で生まれた祝祭資本主義と呼ばれる騒乱の世界が舞台だ。

この本を初めて読んだのはもう4年近く前だと思う。「少し未来」と書いたけれど、数年ぶりに読んで現実の世界もこの物語の世界に近づいたように思った。

もう一冊、2月に再読したのが、米澤穂信の『さよなら妖精』に収録されている「花冠の日」という短編作品だ。『さよなら妖精』が文庫版を経てハートカバーで刊行された時に書き下ろされたもので、1月に直木賞受賞の報を聞いてふと思い立ったように読み返した。

『さよなら妖精』はユーゴスラヴィア紛争をテーマにした作品で「花冠の日」はユーゴスラヴィアから日本にやってきた少女マーヤが紛争下の祖国に帰った後の物語だ。「花冠の日」はフィクションだが、一方でそこで描かれる光景はかなり現実にありうる情景なのではないかと初読時から思っている。

ユーゴスラヴィア紛争は私が初めて『さよなら妖精』を読んだ2010年代中頃にはニュースではなく歴史の側へと押されているように思っていたけれど、今この本を手に取ったタイミングで戦争というものが常に歴史の側にあるものではないと意識させられるのは悲しく思う。

ロシアのウクライナ侵攻についてTwitterで語るのは避けてきたけれども、その避けてきたことについて言語化を試みたい。

世界中でロシアに対する非難の声が高まっていることは議論の余地はない。私たちが接する世界の中でロシアを非難すること、ウクライナを支持することは圧倒的に正しくて、善い。私は人間は正しいことをしたい、悪いものを断罪したいという強い欲求を抱えた生き物だと思っている。そして、そういう断罪の機会を与えられた時に、人間はどこまでも暴力的に容赦無く制裁を加えることができる。

Twitterや報道を見ていてそうした正義のムーブメントが存在している。今この日本という場所で発言する時に、自分の中にあるそうした断罪したいという意識、快楽そういうものが掻き立てられることを私は否定できないし、それに酔ってしまうだろうという自覚もある。特に今、コロナのような責めることのできない脅威を前に生活している私たちにとって、今回のロシアによるウクライナ侵攻はあまりにも魅力的な悪ではないか。

このムーブメントの行先が変わった時に、どうなるのだろうかと思う。それは今回の戦争に限らず、こうしたムーブメントを私たちは制御できるのだろうかという漠然とした不安だ。『マレ・サカチのたったひとつの贈物』でも世論が物語によって動かされ、権力を持つ側が都合の良い物語を作り出す様子が描かれている。これから先私は見極め続けられるだろうか。

戦争というものは、悪意よりも正しいことを為したいという人間の欲求と、それが振るう無邪気な暴力にこそ根付いているように感じる。少なくとも私は声を上げる時に、リツイートのボタンを押す時に、そうした暴力的な欲求と無縁であるとは言えない。この恐ろしさに折り合いをつけなければ語れないから今まで考え続けてきた。

私は国際社会のロシア政府に対する経済制裁に対して賛成しているし、戦争の早期終結を望んでいる。その上で今日本で暮らしていて出会う、もしくはインターネットなどを介して出会うロシア人、またはロシアにルーツを持つ人たちに対して、法や社会的合意のない個人的制裁を行うことは許されない。

私たち個人間がルールと誠実な約束のもとに社会生活を行なっているように、国同士もそうであってほしい。そうした主張を私は自分の持っている暴力衝動と切り離して訴えていたい。

もちろん、中立や静観を決め込むことは、批判されてしかるべきだと思う。だからこそ、恐ろしくとも自分の意見を責任を持って自分の言葉で口にするために私はこの文章を書いた。

私は声を上げる時に私は自分の持っている誰かを断罪したい、正しいことを為したいという暴力性に自覚的でありたい。

その上で、私はロシアによるウクライナ侵攻に強く反対します。

私はペシミストなので、人間は常に対立すると思っているけれども、人間が武力以外の手段によって折り合いをつけられる世界であってほしいと願っています。

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