4章 昼下がりの捜査劇

【十一時】

 私はアーサーとカインと共にクリストフさんの部屋に向かっていた。調べるべき人、調べるべき場所はたくさんある。だから、私たちは分担して捜査することにした。同室の魔法使い同士ペアになって調べ、私は皆の様子を見て回りながら情報を集約する。まずはクリストフさんの部屋を調べるアーサー、カイン組と行動を共にしている。
「さっきのアーサーはかっこよかった」
「やめてくれ。つい怒ってしまった」
「あれくらい怒ったうちに入らないさ」
 カインはにかっと笑ってアーサーの背中を叩いた。
「それに、今思えば『それならもう私たちだってここにいる理由はないから、帰らせてもらう』と言うべきだったな」
「ん……確かに…」
 あそこまで言われた私たちがここにいる必要は実際のところない。私だって「あなたたちに呼ばれたから来てやったのに」という怒りでいっぱいだった。それでも、アーサーの言葉に溜飲を下げて、こうして捜査をしている。
「私やカインはともかく、他の皆にとっては不愉快極まりない任務になってしまったのに、踵を返して帰ることもできなくなってしまった」
「気にしなくて大丈夫ですよ」
 私はアーサーに力強く言う。確かに面倒だし、陰鬱な任務であることは確かだ。けれど、一度は受けた任務なのだからやり切って─できることなら解決して魔法舎に帰りたい。
「ありがとうございます。賢者様」
 王子としての顔ではなく、親しい友人の顔でアーサーは笑った。
「さて、早速調べるか」
 カインはクリストフさんの部屋のドアノブを押し下げた。ブラッドリーが鍵を壊したので、すんなりと開いた。
「まずは室内の状況を整理しよう」
 室内はマナ石を見つけたままの状態だった。流石に石は箱に入れ、マリーさんの遺体と共に食糧貯蔵庫に保管している。遺体というには残ったものはあまりにもささやかだった。
「まず鍵があったのはここ」
 カインは入口から入って左側にある戸棚を示した。棚はカインの身長と同じくらいの高さがある。真ん中あたりまでは扉の付いていないオープンラックだ。真ん中から膝あたりまでは引き出しになっていて、その下は両開きの扉が付いている。
 この部屋の鍵はちょうどカインの肩あたりの高さの棚に置いてあった。
「マスターキーは引き出しの中」
 その棚の下、一番上の引き出しにマスターキーは入っていた。
「今その鍵はアリサさんにお渡ししたんですよね」
「ああ」
 他のカースン家の人たちも反対しなかったので一旦は彼女に預け、必要な時はマスターキーを借りることにしていた。とはいえ、この館では使っていない部屋に鍵はかけていないようなので、鍵が必要になる場面はそうないだろう。
「石が見つかったのはベッドの上」
 引き戸になっている間仕切りは開けられたままだった。ベッドは窓に対して平行に置かれている。開けっ放しの窓からは潮の匂いがした。海の匂いは血の匂い、そして死の匂いにも似ている。
 夜から窓が開いていたのなら、相当雨が吹き込んだように思うが、今見た限りはその形跡がない。しかし、朝から今までの間に乾いてしまってもおかしくないくらい、今日は天気が良かった。
「これはカースン伯爵の寝間着でしょうか」
 アーサーはベッドの上にあるつるりとした素材でできた濃紺のガウンを手に取る。
「これを着ている状態で死んだんだろうな」
 カインはベッドの上を確認したが、布団と枕、それに残された寝間着以外のものは見つからなかった。
「最初に石を発見したのはアリサ殿でしたね?」
 アーサーは確認するように私とカインに尋ねた。
「はい。そうだったと思います」
 彼女が最初に寝室に立ち入って、それから私たちが後に続いた。アリサさんはクリストフさんの部屋の間取りを知っているようだった。それなら、朝になって部屋から出てこない人を探すのに、真っ先に寝室を調べるのは自然なことだろう。
 一通りベッドの周りを調べたが、気になるものはなかった。次に私たちはバルコニーに近寄った。
「玄関に鍵がかかっていたのなら、ここから侵入したと考えるのが自然だが……」
「無理ですよね。これ」
 私はバルコニーの手すりに手をついて下を見た。館は三階建てだが、この館は絶壁に沿って建てられている。眼下にはただただ青黒い海が見えた。とてもじゃないが海からよじ登るという芸当が出来そうには思えない。
「海上から登ってきたって線はないな」
 カインも私と同じように海を見下ろしながら言った。
「魔法使いの可能性はありますか?」
 カインとアーサーは思案の表情になる。
「それは外部犯ってことになるよな」
「はい」
 アーサーは窓を念入りに調べる。
「外部犯なら窓の鍵を魔法で開けたことになります。私にわかる範囲では、魔法を使った痕跡はなさそうですが……ブラッドリーやネロにも見てもらったほうがいいかもしれません」
 アーサーは年長の魔法使い二人の名前を挙げた。
「魔法を使った痕跡があるなら、それこそ二人がこの部屋に入った時点で気づきそうなものですね」
 ブラッドリーは頭が回るし、ネロは細かいことに気づくタイプだ。魔法を使って解錠したのならすでに気づいているだろう。
「伯爵自身が窓を開けたって線は?」
 カインは指を一本立てた。
「犯人を招き入れたってことですか?」
「あり得なくはないが……。それなら犯人は少なくとも伯爵の顔見知りだろう。知らない夜の来訪者を招き入れるようには思えない」
「そうですね」
 アーサーの推測に私も頷いた。顔見知りの魔法使いが突然夜中にやってきて窓を開ける。可能性としてあり得なくはないが、不自然さは付き纏う。
「あとは魔法使いではなく、カースン家の子供たちだったって説」
「カースン家の人たちですか?」
 カインは頷いた。
「海上から登ってくるのは無理だとして左右や上下の移動が可能かどうかだな」
 彼は手すりに足を掛けると「よっ」と声を上げてその上に乗った。
「あ、危ないですよ!?」
「大丈夫。いざとなったら箒を出して空を飛ぶよ」
 カインはなんでもないように言ってのけた。両手でバルコニーの上の庇を掴んでバランスを取る。
「流石に飛び越えるのは無理だな」
 隣の部屋のバルコニーまでおよそ二メートルはある。
「無理ですよ」
 それどころか、私だったらカインのようにバルコニーの手すりの上に乗るのだって怖い。
「下の階はブラッドリーとネロの部屋だよな」
 カインはしなやかな動きで手すりを掴むとバルコニーの外側にポンと手すりを蹴って飛び出した。彼の体がバルコニーの外側で揺れている。
「カイン!」
 彼はバルコニーの手すりを握る両手を片手ずつ離して、転落防止用に手すりから縦に伸びる柵の部分を掴み直した。そのまま少しずつ下へと移動してそのまま下階のバルコニーの手すりに足を下ろす。それから今度は逆に下階から上階にバルコニーの柵を掴んで登り直した。
「上下移動は可能ってことでしょうか……」
 私の言葉にバルコニーの内側に戻ってきたカインは首を振った。
「まさか。俺だって結構きつかった」
 この館にカインほど鍛えている人はいない。体格が良くて若いタリンさんやナッドさんもこんなふうにバルコニーの柵を掴んで登ったり下りたりが自在にできるようには思えなかった。
「しかも下階はブラッドリーとネロの部屋だろ。実際にはここから侵入できたはずがない。ということは一階から登ったか、二階の空室から登ったかのどちらかだ。二階の空室から登ったなら横の移動も考えなきゃいけない」
「そういえば空室が何部屋かありましたね」
 私は賢者の書を開く。昨晩のうちにそれぞれ誰がどの部屋に滞在しているかをまとめたものだ。いくつか空白になっている。
「三階はこの部屋の隣がアリサ殿の部屋、その隣が書斎だそうです。書斎はこの部屋と同じ鍵で開くようですね」
 アーサーは見取り図を指差しながら名前を挙げていく。朝のうちにアリサさんと話して聞いておいてくれたそうだ。
「よく覚えていましたね」
「こういうものを覚えるのは得意なので」
 アーサーのおかげで館の見取り図が埋まった。
「横の移動ができたとして、容疑者はナッドさんとアリサさんです」
「アリサさんには無理だろう。どんな方法にせよ、足が悪いのに隣のバルコニーまで渡れるとは思えない」
 カインの言うことはもっともだった。
「しかし、ナッド殿だとしたらかなり距離がある。渡れるだろうか」
「それなんだよなあ……」
 私たちはしばらく考え込んでしまった。
「とりあえずみんなに話してみたら何か新しい考えが浮かぶかもしれない」
 カインの言う通り、私たちだけで考えてもこれ以上は何も思いつかなさそうだった。

【十三時】

 一足先にクリストフさんの部屋を後にした私はブラッドリーとネロに合流した。彼らの部屋を訪れて、アーサー、カインと共にクリストフさんの部屋を調査した結果を伝える。
「魔法の痕跡?」
「はい。外部犯の可能性があるのかという話になって」
 私は窓の鍵を魔法で開けた可能性があるのかどうか、ブラッドリーとネロに尋ねた。
「窓の鍵を魔法で開けた痕跡はなかった」
 ブラットリーははっきりと告げた。ネロもそれに頷く。
「ただ、これは窓に直接魔法をかけていないってだけ」
「どういうことですか?」
 ネロは鍵を取り出した。
「たとえばこの部屋のドアに魔法で鍵をかけるとする。直接魔法で錠を下ろしたら魔法の痕跡が残る」
 私は頷いた。
「けど、例えばこの鍵を動かして外から鍵をかける場合、鍵に魔法の痕跡は残るけどドアにはなんの痕跡も残らない」
「なるほど……」
「窓の件で言えば魔法で鍵を開けた痕跡はねえ。もしも魔法を使ったとすれば、あの伯爵自身に魔法をかけて開けさせたって可能性が高い」
 ブラッドリーは窓の付いているかんぬき型の鍵を手で開けてみせた。
「その場合は痕跡は残らないんですね」
「生きてたらわかっただろうが、石になっちまったからな」
 つまり、外部犯が窓を開けて侵入するとすれば、あらかじめ伯爵に魔法をかけておくか、窓越しに魔法をかけたか─とにかく伯爵自身に魔法をかけて窓ガラスを開けさせ、侵入するしかない。
「しかし、魔法使いだったらなんで窓ガラスをわざわざ開けさせる?」
 ブラッドリーは肩をすくめた。
「相手の行動を掌握できる魔法使いなら殺すのも難しくねえだろ」
「魔法使いの犯行だとバレたくなかったとか……?」
「バレたとして何が困る? この世界に魔法使いがどれだけいると思う? 特定なんてできやしない」
 その通りだ。外部犯であるならば、犯行の手口が露見したとしても、私たちが追い詰めることは難しい。それなのに魔法を使った痕跡がさっぱり見つからないというのは確かにミスマッチだ。
「しかも、このタイミングで殺すなら動機は当主選定だろ? だったらその利益を得る人間が当然怪しい。外部犯だとしたらこの家の奴らに頼まれたか雇われたかしてるはずだ。俺だったら、明らかに人間の手では不可能に見える殺し方をする」
 そうすれば殺人を依頼したカースン家の誰かは容疑者から外れることができるということか。
「ブラッドリーの言う通りだと思います。外部犯の線で考えるより、カースン家の誰かが殺したと考える方が良いかもしれません」
 だとすれば、やはり問題となるのはどうやって犯人がクリストフさんの部屋に侵入したかだ。ドアには鍵がかかっていた。窓は開いていたが、バルコニーは海に面していて外から侵入することはできそうにない。正真正銘の密室だ。
「ところで、賢者さん」
 ネロは考え込んでいる私を気遣うように呼んだ。
「すみません。どうしました?」
「最初の事件については何か進展はあった?」
 私は首を振った。最初の事件についても何があったのか明らかにはなっていない。ネロはちらとブラッドリーを見てから続けた。
「最初の事件、どうやって殺したのかわかったかもしれない」
「本当ですか!?」
 ブラッドリーはテーブルの上に置いてあったボールを片手で掴むとネロの方に投げた。説明は任せたというように顎でネロを促す。
「現場にこれが落ちてただろ?」
 ネロはテーブルの下に屈み込んだ。
「例えばこのテーブルをあのオブジェだと思ってほしいんだけど……。こうやって傾けてボールを挟み込んでおく。そうすると一応テーブルは傾いたまま倒れない」
 テーブルの足がボールに乗っかっている。ボールに弾力があるせいか確かに倒れることなく傾いた状態がキープされていた。
「ただこの状態で横からテーブルを軽く押すと─テーブルはバランスを崩して倒れる」
 実際にはテーブルが倒れる前に、ネロがその縁を掴んで起こした。
「あのオブジェは一人で動かせる重さじゃなかったけど、あらかじめこうやってボールを挟んでおけば、強く体当たりでもして階下に落とすことができたんじゃないか。そう思ってさっき調べてきたんだけど……」
「もう調べてきてくれたんですか?」
 ネロは照れ臭そうに頭をかいた。
「いや、やることもなかったし……。同じオブジェで試してみたが、上手く行きそうだった。取り付けられてた柵を支点にしてやると一人でもオブジェを浮かすくらいはできたから、ボールは挟み込むことはできる。このボールを挟み込むとちょうどこのテーブルみたいに傾いた状態だけど倒れはしなかった」
「で、誰がやったのかって話だ」
 ブラッドリーはニヤリと笑った。
 普段温室に鍵はかかっていなかったのだから誰にでもチャンスはある。強いて言えば私たちより後に現れたタリンさんとナッドさんが仕込んだ可能性は低いというくらいか。
「普通に考えればこのボールの持ち主が仕込んだって考えるのが妥当じゃねえか」
「持ち主?」
「坊ちゃんだよ」
 ネロは手の中で弄っていたボールをテーブルに戻した。汚れと傷のある、ある程度使い込まれたボールだ。
「ハラルドさんですか?」
「確証はないが、この島の中でボール遊びをするとしたらあのハラルドって坊ちゃんか、死んだ嬢ちゃんだろ。新品のボールならともかく、ある程度使われてるところから見て、この島に元々あったんじゃねえか?」
「ハラルドさんがオブジェを落下させる仕掛けを作った」
「俺たちはそう考えてる」
 ネロの言葉にブラッドリーも頷いた。
「もちろん一人で落とせる状態を作ったとして、最後の一押しがなんだったのかは別だ。直前まであの坊ちゃんは俺たちと一緒にいたしな。誰かが落としたのか、偶然何かの弾みで落ちたのか。とにかく本人に話を聞いてみた方がいいんじゃねえか?」
 確かに彼の様子はおかしい。妹が亡くなったせいだと思っていたが、言われてみればそれだけじゃないようにも見える。
「わかりました。話を聞きに行ってみましょう」

 

 私たちはハラルドさんの部屋に行き、扉をノックした。
「……はい」
 憔悴した少年が立っていた。元から内気そうな表情に一段と陰が落ちている。
「すみません。事件のことで少し話を聞かせてもらいたいんです」
「わかりました」
 ハラルドさんは部屋から出てくると、後ろ手にドアを閉めた。
「なんでしょう」
「これはおまえのか?」
 ブラッドリーは出し抜けにボールを見せた。ハラルドさんはさっと表情を変えた。それから冷静を装った声で答える。
「僕のものです。最近見ていなくて、もう失くしてしまったと思っていたものですけど……」
 ブラッドリーはぐいと彼に近づく。強引な対応を止めるかどうか迷ってるうちに、彼はストレートに質問を投げかけた。
「温室に最後に入ったのはいつだ?」
「温室ですか……? さあ……。この島に戻ってきてからは一度も入っていないと思います。最後に入ったのは学校に入学する前の……去年の夏でしょうか。このボールもきっとその時に落としたんですね」 
 ブラッドリーは彼を上から下まで眺めると、ふんと鼻を鳴らした。それからボールを突き出した。ハラルドさんはなんのことやらとボールとブラッドリーを交互に見た。
「おまえのものなんだろ? 返して文句あるか?」
「いえ……。ありがとうございます」
 ハラルドさんは警戒するようにボールを受け取ると、これ以上何も話すまいと部屋の中に戻り、ドアを閉めた。
「怪しいな」
 ネロの言葉に私は頷いた。
「……はい」
 明らかに何かを隠している口ぶりだった。それに彼はこう言った。「このボールもきっとその時に落としたんですね」と。
「ブラッドリーはボールが温室で発見したことは言いませんでしたね」
「だな。よくわかってんじゃねえか」
 ブラッドリーは私の頭を乱暴に撫で回した。

 

【十四時】

 遅めの昼食を取ることにして、私たちは食堂に下りて行った。食堂にはヒースクリフとシノがいて、空の皿と食後の紅茶が並んでいた。
「二人はお昼を済ませたところですか?」
「はい」
 ヒースクリフが答えた。
「ちょうどよかった。あんたにも話しておきたいことがあったんだ」
「なんですか?」
「話は飯を食いながらにしようぜ。シノもそれでいいだろ?」
 ネロに言われて私は昼ご飯を食べるためにやって来たことを思い出した。事件のことを考えるとついそちらにばかり気を取られてしまう。
「腹が減ってるといい考えも浮かばないさ」
「そうですね。ご飯を食べながら聞きます」
 昼食はキッチンに並べられていた。相変わらず魔法がかかっていて、作りたての状態になっている皿とパンを取っていく。ブラッドリーの背中を追って、キッチンを出ようとした時、ふと私は気になったことを呟いた。
「亡くなっても魔法の効力は残るんですね」
「効力の範囲が限られるものは大体残るな。これはせいぜい数日分だから、魔法の行使者がいなくても呪文を唱えた時に想定した期間は効力が持続する」
 ネロは皿の縁を撫でて答えた。
「温室の花も数日は保つだろうけど……」
「温室の花?」
「魔法がかかってたよ。満開に咲いた瞬間を保つように」
 温室の中で咲き乱れた花は時間を止めたように美しかった。その直感は間違っておらず、そうであるように望まれた結果だったのだ。温かいものを温かいままに。美しいものを美しいままに、クリストフさんの遺した魔法はそういうものだった。
 昼食を用意して食堂の席につく。ヒースクリフとシノも冷めた紅茶を入れ直してから俺たちに向き直った。
「それで話というのは?」
「さっきまでここにタリンっていう兄弟がいたからオレとヒースで話を聞いておいた」
 シノは腕組みをして胸を張った。
「兄弟の関係、それから次期当主について訊いてみました」
「へえ」
 ブラッドリーは面白そうに笑った。
「誰が誰についてるかってことか」
「そうです。次期当主として名前が上がっていたのはアリサさん、カーターさん、そしてタリンさんの三人だったようです」
 ヒースは指を三本立てた。
「アリサさんは伯爵不在時は領内の経営も任されていて、兄弟からの信頼も厚い。ただ、彼女は高齢で、当主の座に長くいることはないでしょう。近いうちに彼女の子供たちが当主の座を引き継ぐことになるのなら、彼女に票を入れたくないと思っている人もいたようです」
 カースン家の人たちは成人してからそれほど交流があるわけではなかったと聞いている。アリサさんが当主を務めることには賛成でも縁遠い彼女の子供達が継いでいくことには反対ということなのだろう。
「カーターさんのことは主にサラさんが推していたようです。カーターさんは海運業で成功していても、あくまで身分としては平民。伯爵という地位を一番欲しがっているようです。逆にサラさんは伯爵位自体に興味はなく、金銭面の援助を期待してカーターさんに協力しようとしていたみたいです」
「お金に困っているってことですか? サラさんは結婚して伯爵夫人になったって言ってましたが」
「はい。ただ、先頃の〈大いなる厄災〉襲来の影響もあって、領地経営が上手くいっていないようなんです。領主はその土地の民から徴収した税が収入になりますが、取るものがなければ領主自身も困窮しますから」
 貴族といっても遊んで暮らせるわけではないらしい。最近では、商人に借金をする貴族もいるらしいと聞くとなんだか世知辛い。
「最後のタリンさんは?」
「はい。タリンさん自身は当主になることには興味がないようです。ただ、弟─ナッドさんとハラルドさんからは次期当主になるよう勧められていたって言ってました」
 同世代の三人だ。彼らがその中で一番年長でのタリンさんを推すのは自然かもしれない。それに、私も軽く言葉を交わした限り、タリンさんは聡明で、領主を継ぐのに相応しいように感じられた。弟思いであることもわかる。
 タリンさんの話をそのまま鵜呑みにはできないが、私が話した印象とも大きく外れない。
「大きく分けて三勢力か。動機の線から考えるとして、お嬢ちゃんと親父が死んで一番得をするのはどこだ?」
 ブラッドリーの問いにヒースは首を振った。
「タリンさんもマリーさんのことはよくわからないと言ってました。ただ、ハラルドさんと仲が良かったから彼に相談したか、もしくは父親に追従して票を入れたんじゃないかって言ってた」
「父親……クリストフさんはどう考えていたんでしょうか?」
「伯爵が誰に投票しようとしているか、少なくともタリンさんは聞いていなかったそうです。当主代行として頼りになるのはアリサさん……。でも、もしも伯爵自身が新当主を操るつもりなら彼女ではないだろうと言っていました」
「操るって……名目上は当主と伯爵位を誰かに譲りつつ、実際はクリストフさんが今まで通り領地を治めようとしていたってことですか?」
 ヒースクリフは頷いた。
「確かに、そうすりゃ王家や他の貴族からあれこれ言われることもないし、やりやすいかもな」
 ネロはそう言って肩をすくめた。それなら今まで手放さなかった当主の地位を突然子供達に受け渡そうという気になったのも頷ける。
「そうだとしたら伯爵は誰を選ぼうと思っていたのでしょうか?」
「与し易いのはガキたちだろうな。つっても他の連中の票が入らなきゃ意味がねえ。そうなれば、あのカーターとかいうおっさんあたりが操縦し易いんじゃねえか? 調子に乗せやすそうなタイプだ」
 当主候補として兄弟の中で名前が上がっていた三人の中で一番父親の意に添いそうなのは確かにカーターさんかもしれない。アリサさんはクリストフさんと意見がぶつかった時に、きっぱりと自分が思ったことを通しそうな芯の強さを感じる。タリンさんもいざ当主の座を継いだらただでは言いなりにならないような気がした。
 しかしそうなるとわからない。クリストフさんとマリーさんがカーターさんに票を入れることにしていたとすれば怪しいのはアリサさんとタリンさん、そしてこの二人に投票しようと考えていた人たちだ。しかし、マリーさんがタリンさんに投票しようと考えていたとしたら、容疑者はまるで変わってくる。
「動機から絞るには亡くなっていた二人の投票先がはっきりしないので難しいですね」
「ああ。そもそも投票を有利に進めたいなら、候補に上がっているライバルを殺す方が手っ取り早くないか?」
「確かに」
 私はシノの推測に同意した。クリストフさんはもちろん当主選定の候補からは外れるし、マリーさんも今までの話を聞いていると選ばれる可能性は限りなく低い。あえて殺される理由が薄いような気がした。
「それか、当主選定以外の動機があったということになりますね」
 ヒースクリフは沈んだ面持ちで言った。
「それなら一人いる。伯爵を殺したいほど憎んでいたやつ」
「誰ですか?」
「ナッド・カースン」
 シノが答える。
「あいつは魔法使いを嫌ってる。だから、父親のことを憎んで、この家にも寄り付かなかった」
「もちろんタリンさんがそう言っているだけです。ただ、あの人が俺たちに向けていた敵意を思えば納得できます」
 確かにナッドさんは初めて顔を合わせた時から私たちに対して冷淡だった。単純に家族の間に部外者が入ってくることに納得いっていないのかとも思っていたが、それだけではないらしい。
「だとしたら、なんで今って話だな。別に今までいくらでも殺すチャンスはあっただろ」
 ネロは食後の紅茶をティーカップに注ぎながら言った。彼の言うことも尤もだった。結局のところ、私たちは推測に推測を重ねてそれらしい物語を作り出そうとしているだけだった。
「……ナッドさんとも話してみようと思います」
 私はまだ彼とろくに会話をしていない。真実を知るためにはきちんと向き合うべきだと思った。
「それなら俺も……」
「ありがとうございます。でも、私だけにさせてもらえませんか?」
 魔法使いのことが本当に嫌いだというのなら、私一人で彼と話をした方が良さそうだ。彼から話を聞き出せるという意味でも、そして私の大事な友達をこれ以上傷つけさせないという意味でも。

 

【十五時】

 私はナッドさんの部屋の前にいた。三階の海側、ちょうどクリストフさんの部屋の反対側だ。二度、戸を叩く。
「はい」
 開けたドアの向こう側にいる彼は不機嫌を隠さなかった。私はつい気が引けそうになるのをぐっと堪えて言った。
「こんにちはナッドさん。自己紹介できていませんでしたが、私は真木晶と言います。あなたとお話がしたいと思って来ました」
 彼の目をまっすぐに見据える。しばらく睨み合いになった後、彼は不意に目を逸らした。
「話がしたいなら外でしよう」
 彼はそう言うと部屋の外に出て鍵を閉めた。私は慌てて彼の後をついていく。彼が外と言ったのは始め「部屋の外」と言う意味だと思っていたが、彼は階段を一階まですたすたと下りると庭に出た。
 外は昨夜に降った雨の名残のような湿気が残っていた。庭に咲いた花の匂いが昨日よりも強く感じる。日は西に少し傾いて、空には雲が多く見える。今日も夕方には雨が降るだろうか。
「夏は夕立が多いんだ」
 ナッドさんは空を見上げた。
「ああいう雲が出るときは雨が近い」
「雨が降る前に戻らないといけませんね」
「そういうこと」
 彼は初めて表情を緩めた。
「なんの話をしようか」
「カースン家の人たちの話を伺いたいです」
「たとえば?」
「ナッドさんはどなたに投票するつもりなんですか?」
 ナッドさんは肩をすくめた。
 さほど時間はなさそうだったから、私は一番彼が答えるのに抵抗がなさそうな質問から尋ねた。彼は次期当主にもそれを選ぶための投票にもさして気が向いていないように思える。
「正直なところ誰でもいいと思っている。ただ、俺は上の兄弟たちのことをよく知らない。だから兄貴に入れるつもりだった」
 『兄貴』という親しげな響きは、ナッドさんとタリンさんの仲が良いことを窺わせた。
「ナッドさんはマリーさんとお会いしたことは?」
「ない」
 彼は首を振る。
「俺は十七の時にこの家を出て、それから一度も戻ってない。マリーはもちろん、父にも七年ぶりに会ったよ」
「クリストフさんのことは……」
 一瞬彼の表情が曇り、それからわざとらしく鼻で笑う仕草を見せた。
「あの男が俺は大嫌いだった」
 それから彼は少し迷って言葉を継ぎ足した。
「父にとって俺たちは、父自身の生活を飾るための道具でしかなかった。─君は温室の花を見た?」
「はい、見ましたけど……」
「俺たちは温室にある花と一緒だったのさ。父の望んだ家族の形を描き、それに嫌気が差して大人になったら島を出ていく。父は俺たちを無理に引き止めることはしなかった。しばらくして、また新しい女とやり直す」
 ナッドさんの口調には父親への侮蔑が滲んでいた。けれど、私にはそれ以上に彼が父親を恐れているようにも思えた。
「父は自分の中で描いた理想をそのまま叶えるだけの力があった。そして、それを変わらず留めておくことも。俺たちは父の中にある家族の肖像画を描くように生み出されたにすぎない」
 彼は薔薇を一つ摘み取った。
「ずっと同じことを繰り返してる。失っても父は心ひとつ痛まない」
「魔法使いが嫌いなのはお父さんのせいですか?」
 彼は曖昧に笑った。
「そうなのかもね。魔法使いはいくらでも俺たちを弄ぶことができる。信頼や愛情を裏切ることができる」
 そんなことはない。私が言うのは簡単だ。けれど、彼にとってそうではないこともわかっている。だから私は同意も否定もしなかった。
「俺はこの屋敷の中に、父以外の魔法使いがいるんじゃないかとずっと疑っている」
「どういうことですか?」
 突然の話に私は眉を寄せた。
「昔、姉と呼んでいた人から魔法を見せてもらったことがあるんだ」
「お姉さん?」
 彼から見て姉と呼べる人はアリサさんかサラさんだ。
「どんな人だったのか何も覚えていない。俺が十歳かそこらで、彼女もせいぜい十代半ばくらいだったと思う。だから、もちろんアリサ姉さんでもサラ姉さんでもない。─年齢が合わない」
 ナッドさんはサラさんとも二十歳以上年が離れている。アリサさんとはもっと。
「他愛ない魔法だったと思う。俺はそれを見て……驚いたし、嬉しかった。ただ、どうしてそうなったのか、彼女その後どうしたのか、俺は何も覚えていない。本当にそんな人がいたのかもわからない。この記憶の欠落が、魔法のせいなら恐ろしいとは思わないか?」
「記憶を書き換える魔法ということですか?」
「ああ」
 彼は手の中で薔薇の花を握り締めた。
「記憶は認識の連なりだ。誰かの見ている世界そのものを改竄できるなら、それはもう人間を意のままにできるということじゃないか」
 バラバラになった花びらが地面に落ちている。花びらをかき集めることはできても、花の形に戻すことはできない。記憶に手を入れたら、それはもう同じ形の人間ではいられない。
「父であろうが他の誰かであろうが、とにかく俺は意のままにされる操り人形ではいたくなかった。温室の花と違って、空は飛べずとも俺には自由になる足がある」
「もし私があなたと同じ立場だったら、ずっと怖かったと思います。自分が曖昧になることも、誰かの思い通りに動かされることも」
 私の共感が響いたのかはわからないが、ナッドさんは小さく笑った。
「すべては昔の話だ。もう二度とこの家に戻るつもりはなかった。次期当主だって、他の兄弟たちに勝手に決めてもらって構わない。ただ、兄弟が揃わない限り、次期当主は決められないと父が言い出すから、俺はわざわざここまで来た。父が当主の座を返上したら、知らずに奪われた何かを取り戻せるんじゃないかって」
 それからナッドさんは首を振った。
「俺が父を殺したと疑っている?」
「いいえ。疑うだけの材料がありません」
 動機があるからといって殺したと決めつけるのは乱暴すぎる。何より、密室の謎も解けていない。
「そろそろ雨が来そうだ。もういいか?」
「はい。お話する時間をいただき、ありがとうございました」
 彼は私に背を向けて館に向かった。数歩進んで、それから彼は再び私を振り返った。
「賢者である君は、魔法使いかどうか見分けることはできる?」
「いいえ」
 年長の魔法使いは、目の前にすれば魔法使いか人間が区別できるという。けれど、私は残念ながら見分けることはできない。それを聞いて彼は「そうか」と一言残し、今度は振り返らずに去っていった。

【十六時】

 ナッドさんと話した後、私は一度自分の部屋に戻り、得た情報を賢者の書にまとめていった。
 温室で起こったマリーさん殺害事件。オブジェにあらかじめボールを挟んでおくことで、一人でも階下に落とすことが可能になる。そして、仕掛けにはハラルドさんが関与している可能性が高い。しかし、誰がオブジェを落下させたのか、それとも何かの弾みで落下したのかは不明。
 昨夜のクリストフさん殺害事件。ドアには鍵がかかっており、侵入できる経路は窓だけ。ただし、窓の外は断崖絶壁になっていて、島の外から侵入することが人間には不可能。バルコニー伝いに移動することができたかどうかが問題だ。
 私は息をつくとベッドの上に倒れ込んだ。考えることが多すぎる。
 さあさあと雨が降る音が聞こえる。ナッドさんが言った通り、雨が降り出していた。すぐに止む、夏の夕立。
「オーエン、いますよね」
 私は呼びかけてじっと待った。
「何?」
 声と共に姿が現れる。私は小さく笑う。確信などまるでなかったが、オーエンに対しては恐る恐るという態度を取るよりは、堂々と振る舞った方が良いと判断してのことだから、大成功と言っていいただろう。
「これであなたがいなかったら、恥ずかしいなって思いました」
 オーエンは肩を竦める。
「言ったでしょ。見守ってるって」
「朝は応えてくれなかったじゃないですか」
 オーエンは何も言わなかった。薄く笑みを浮かべて私を窺っている。
「オーエンはこの館で何が起きているか知ってるんですか?」
「それを聞いてどうするの?」
 問い返された問いに私は首を振った。
「言いたくないなら構いません。もう一つ教えてください。─オーエンはこの事件に関与していないんですよね?」
「僕を疑っている?」
 目を細め、試すように言い放った。
「いいえ。単なる確認です」
 オーエンがなぜこの島に来る気になったのかはわからない。でも、ここまで目立った動きを見せないということは、本当に彼は事件の趨勢を見ているだけなのだと私は思っている。彼は面白半分で人々をめちゃくちゃにするけれども、そこには彼自身が楽しもうだとか、私たちを怯えさせようだとか、そういう悪意が必ずある。けれども、今ここにいるオーエンからはそういった感情が読み取れなかった。
 オーエンが万が一関与しているのなら、私たちが考えるべきことは大きく変わってくる。なにしろ、この島にいないはずの魔法使いがいるのだから。前提条件として、彼の存在を頭に入れて推理しなければならない。
 オーエンはつまらなさそうな顔をしてぼそっと言った。
「僕は事件には関わってない。見ているだけだ」
 それは一つ目の問い─この館で何が起きているかを知っているのかという問いへの答えでもあるように思えた。
「わかりました」
 それでも、私はそれ以上問いただすことはしなかった。オーエンが真実を知っていたとして、彼がそれを話さなければならないということはない。私は話すかもしれないけれど、彼がそうでなくていけないわけがない。魔法舎で暮らすようになってから、魔法使いたちの「そうでないこと」を私は尊重するように心がけていた。だから、私は時々自分の中にある良心とか正義とか常識とかいうものを裏切る。
 オーエンは私の返答に拍子抜けしたようだった。彼は外套を翻すと再び姿を消した。
「ちょっとだけ寝ようかな」
 朝から歩き回っていたせいか少し疲れた。ベッドに横になると、私は睡魔に抗わず、目を閉じた。

 

【十七時】

 微睡の中で、ドアをノックする音が聞こえた。ベッドから体を起こし、目をこすりながら慌ててドアを開ける。
「賢者様?」
「大丈夫です。どうかしました?」
 来訪者はカインだった。
「休んでいるところだったらすまない。アーサーやブラッドリーと一階の談話室で話していて、夕飯も近いし賢者様を呼んでこようかって」
 私は時計を見た。一時間ほど眠っていたらしい。
「ああ。行きます」
 私は上着を羽織って部屋の外に出た。一階の談話室に行くとアーサーとブラッドリー、カーターさんとサラさんがいた。雨は止んでいて、沈み始めた太陽の薄い光が差している。
「こんにちは」
 私が挨拶をするとカーターさんとサラさんは会釈を返す。二人はチェス盤を挟んで座っていた。アーサーとブラッドリーの前にもカードの山がある。
「部屋に篭っていても落ち着かなくてね」
 カーターさんはチェスの駒を握ると、背中を丸めてそう言った。
「みなさんずっとこちらに?」
「私とサラは昼過ぎからここにいましたよ。賢者の魔法使いのみなさんは夕方頃からこちらに」
 ブラッドリーに視線を移すと彼は黙って頷いた。
「賢者様も息抜きにひと勝負いかがですか?」
 アーサーがカードを手に取る。魔法舎でもやったことのある、この世界ではよく知られたゲームだった。
「はい」
 ブラッドリーとカインも座って四人でゲームを始める。アーサーがカードを切った。一プレイ三十分もかからないゲームだ。夕食までの時間を過ごすのにちょうど良い。私は配られた手札をめくった。
 最初のターンはブラッドリーが勝った。もう一ゲームやろうとカードを配り終えたちょうどその時、アリサさんが談話室に入ってきた。
「すみません。タリンを見ませんでしたか?」
「タリンさんですか?」
 私より先に談話室にいたブラッドリーとカイン、アーサーに目線をやった。
「いや、来てないな」
 カーターさんとサラさんも頷いている。
「私たちもタリンのことは見ていない」
「そうですか」
「姿が見えないんですか?」
 私が問うとアリサさんが頷いた。
「昼食の時に、夕方二人きりで話をしたいと言われました。私は食堂とキッチンを行き来していたのですが、一向に姿を見せず、部屋に行ってみたのですが応答がなくて……」
 談話室の中に緊張が走った。今朝クリストフさんが姿を見せなかった時とあまりにも状況が似ている。
「マスターキーは?」
「ここにあります」
 カインの問いかけにアリサさんはマスターキーを見せた。
「昼寝しているだけかもしれない。もう一度部屋に行ってみよう」
 朝と同じような展開で私たちはタリンさんの部屋へと向かった。タリンさんの部屋は二階庭側の端の部屋だ。ちょうどヒースクリフとシノが泊まっている部屋の反対側。三回ノックをしても応答がない。
「開けましょう」
 アーサーがアリサさんを促した。彼女は震える手で鍵穴にマスターキーを差し込んで回した。鍵が開く。扉を開けると部屋の中から風が吹き込んできた。ちょうどドアの直線上にある庭に面した窓が全開になっている。
「どうして……」
 私の耳元でアリサさんの声がした。開いた窓の下、倒れ込んでいる男性の姿がある。
「死んでるな」
 素早く室内に入ったカインが脈を取った。部屋の主─タリン・カースンが事切れていた。
「賢者様」
 カインに呼ばれて私はタリンさんの遺体の側に寄った。
「口の中に鍵がある」
 タリンさんは口を大きく開けた状態で亡くなっていた。その口の中に金色に輝く金属が押し込められていた。
「この館のものですね」
 鍵には赤色の石が埋め込まれていた。つまり、この部屋もまたドアからの出入りはマスターキーを持っているアリサさん以外不可能だったということになる。
「誰がこんなことを……」
 カーターさんは絞り出すように言った。
 館の主人が死んでなお、この事件は終わらない。

 

 タリンさんの遺体を確認後、私たちはカースン家の人たちを食堂に集めた。一刻も早く犯人を見つけなければ凶行がまだまだ続くのではないか。嫌な感覚がまとわりついて離れない。
 私はカイン、アーサーと共にタリンさんの遺体と部屋の様子を確認するために彼の部屋に戻った。他の四人の魔法使いたちは、今頃カースン家の人たちから今日一日どんな行動ををしていたかを聞き取っているはずだ。
 元いた世界で、亡くなった人を目の当たりにする機会は少なかった。せいぜい親族のお葬式でお別れをするときくらいなもので、そこで眠る人は穏やかな顔をしていた。
 この世界にやって来て、目の前で死んでゆく人や魔法使いたちを目にしたことが何度かある。決して穏やかとは言えない状況で一生を終えることもある。誰かを恨みながら死んでゆくことも。その事実を目の当たりにしても慣れることは一生ないだろうし、そうはなりたくはなかった。
「どうして魔法使いの体は石になってしまうんでしょうか」
 ぽつりと私がこぼした言葉にアーサーが反応した。
「私も全く同じ質問をオズ様にしたことがあります」
「オズは、なんて?」
「魔法使いの本質は、魔法を使う心。心が望めばいくらでも肉体を変化させることができる。肉体というのはその程度のものでしかないから死んで残ることはないと」
 アーサーは私の表情を読みとって少し困ったように笑った。
「寂しい、ですか?」
「はい」
 オズの言うことは、きっとその通りなのだ。その潔さと世界への誠実さのようなものが私は寂しい。心さえ残ればそれでいい。理解はできて、共感ができない。人は─少なくとも私は、目に見える何かに縋ろうとしてしまうからだ。
「私はオズ様の言うことも賢者様の感じる寂しさも、両方わかる気がします」
 アーサーは目を細めた。
 私は手を合わせて一度拝んでからタリンさんの身につけていたシャツの襟元に触れた。
「首を絞められた痕がありますね」
 くっきりと赤い痕が首の周りに残っていた。
「ああ。ロープなら縄目の痕が残りそうなものだが……」
 扉を調べていたカインも私の手元を覗き込んだ。ナッドさんの首にある鬱血した痕に、模様のようなものは見られない。擦れたような傷が何箇所か見られる。
「こちらではないですか?」
 アーサーがベッドの上から拾い上げたのはネクタイだった。
「凶器の候補になりそうです」
 他にもタオルやシーツでも首を絞めることはできる。もちろん凶器を犯人が持ち去った可能性も捨てられない。捜査をするプロでもない私たちには、はっきりと凶器を特定することは出来なさそうだ。
「それと問題になるのは……」
 カインは窓の方を見た。
「密室ですね」
 この部屋も鍵がかかっていた。そしてその鍵はタリンさんの口の中にあった。おそらく殺害してから入れたのだろう。その鍵はカインが回収して台所で借りてきたナプキンに包んであった。
「窓は開いていましたね」
 アーサーは窓から外を覗き込む。この部屋はクリストフさんの部屋と違って庭に面している。バルコニーではなく普通の窓だ。幅は両手を広げたくらい、高さは私の腰から頭がすっぽり収まるくらい。
「横の移動は難しいな。手をかけるところがない」
 カインも窓枠に手をかけ、身を乗り出した。私も窓の外側を覗き込む。バルコニーのある海側の部屋と違って、確かに掴むことのできる場所がない。
「上の階から移動することは? 確か使ってない部屋だった」
「どうだろうな。試してみようか」
 アーサーの疑問に答えてカインは直上の三階の空き部屋へと向かった。窓から外を覗いていると上から声が聞こえた。
「おーい」
 三階の部屋の窓から身を乗り出したカインが手を振っている。
「危ないから頭を引っ込めてくれ」
 私とアーサーは窓枠から一歩下がった。
 「よっ」という軽い声が聞こえたと思うと窓の外にカインのブーツの爪先が見えた。
「大丈夫ですか?」
「このまま部屋の中に入るのは難しいな」
 視界から爪先が消えた。
「もう一つ試してみる」
 しばらくすると今度は窓の外にカインの姿が現れた。ブーツを窓枠にとん、と置いて窓から彼は部屋の中に入ってきた。
「どうやったんですか?」
「これだよ」
 カインは手で掴んでいたロープを引っ張った。
「魔法でロープを作って、ベッドの脚にくくりつけた。それでこう……ロープを掴んで降りてきた」
 それからカインはロープを掴むと今度は上に向かって上り始めた。
「これって……カイン以外にできると思います?」
 アーサーに問いかけると彼は笑った。
「私なら魔法を使わないと無理ですね」
 私とアーサーは上の部屋を見に行ってみようとタリンさんの部屋を出て、三階に上がった。
「お疲れ様。カイン」
 カインは膝の辺りについて汚れを払っていた。
「窓からの移動は」
「難しいんじゃないか? 何より目立つ」
 その通りだ。たとえカインのようにロープで移動できたとして、窓からぶら下がっていたら庭からは丸見えだ。実際、私とナッドさんは庭で話していた。屋敷の方を意識して見た記憶はないが、そんな光景が視界に入ったら目を引かれることは確かだ。誰かが庭に出てくることを考えると、リスクの高い移動方法に違いない。
 しかし、窓から侵入したのでなければ鍵のかかったドアから入ったと考えるしかない。そうなると怪しいのはマスターキーを持っているアリサさんだ。しかし、彼女がやったのならドアに鍵をかけて出てくるのはおかしい。密室を作って、真っ先に怪しまれるのはマスターキーを持っている彼女なのだから。
「一度戻りましょうか」
 他の魔法使いの意見も聞いてみよう。私がそう促したときアーサーが「あっ」と声を上げた。
「窓枠が」
 ロープが擦れたせいか、塗料がべろりと剥がれていた箇所があった。
「まずいな。後で直しておかないと」
 一旦そのままにして私たちは部屋を後にした。

 

 簡単に夕食を済ませると私たちは食堂に集まった。カースン家の人たちには、今晩は自室で過ごすように伝えて、外してもらっている。明日の当主選定までに犯人がいるのなら明らかにしなければいけない。
 アーサーとカインが、殺害現場とタリンさんの遺体の様子を共有した後で、食堂に残っていた魔法使いたちが聞き取ったカースン家の人たちの行動を聞く。いわゆるアリバイを調べているのだ。
「タリンさんと最後に会ったのはアリサさん─それにヒースクリフとシノですよね?」
「ああ」
 シノが答えた。
「ちょうど昼食の時に食堂で会ってオレとヒースと話していた」
「アリサさんもキッチンと食堂で姿を見ました。その時にタリンさんと夕方話をする約束をしたそうです。話を聞いた限り、それよりも後の時間に彼を見た人はいないようでした」
 私がヒースクリフとシノに会った時にはもうタリンさんの姿はなかった。私が食堂を訪れたのは十四時頃だから、十三時台まではタリンさんもまだ生きていたのだ。私は広げた本の中に時刻を書いていく。そして十三時から十四時の間に『アリサさん、タリンさん、ヒースクリフ、シノ:食堂』と書き込んだ。
「アリサさんは、談話室に来るまではキッチンと食堂を行き来していたそうです。俺たちも賢者様と分かれたあとは部屋に戻っていたので見ていませんが」
「あー……俺もキッチンにいた時間があるから、その時見たよ」
 ネロが右手を上げて話し出した。
「時間は覚えてないけど十五時は過ぎていたと思う」
 私は十四時からタリンさんの遺体を見つけた十八時の間に『アリサさん:食堂、キッチン?』と書き込んだ。
「カーターさんとサラさんはずっと談話室にいたんですっけ?」
「ああ。あの二人は昼過ぎからずっと談話室でチェスをやってたらしい」
 ブラッドリーが答えた。
「俺が談話室に行った十六時には確かに二人ともいた。けど、その前は本当かどうか知らねえな」
 私はさらに書き加える。カーターとサラさんはずっと一緒にいたと証言している。十六時以降のアリバイはブラッドリーが証言しているから確かなのだろう。
「ナッドさんは十五時頃には部屋にいました。私は彼に会いに行ってそれから庭で話をしていました」
 私が昼食を取った後、十五時頃に彼は確かに部屋にいた。それから庭で会話をして、私が自分の部屋に戻って時計を見た時には十六時だった。ちょうど雨が降り出したのもその頃だったはずだ。
「彼も同じことを言ってました。賢者様と話した後、食堂に水を取りに行ってアリサさんとすれ違ったと言ってました。それからは部屋でずっと一人だったと」
 ヒースクリフの言葉を受けて私は十三時から十五時の間に『ナッド:自室』、十五時から十六時の間に『ナッド、晶:庭』と書いた。
「ハラルドさんも同じくほぼ自室にこもっていたそうですが、十七時からは食堂でアリサさんを手伝っていました」
 十七時以降はアリサさんとハラルドさんは互いに食堂にいたと証言しているそうだ。
「タリン殿の部屋を確認してきて気づいたことがあります。窓が開いていましたが、室内は窓枠やカーテンも含めてほとんど濡れていませんでした。つまり、窓が開いたのは雨が止んだ後ではないかと思うのです」
「確かに」
 私はアーサーの意見に頷いた。それなりに激しい夕立だった。窓を開けていたら多少なりとも雨が室内に吹き込むはずだ。
「雨が止んだのは十七時前ってところだったよな」
 シノはヒースクリフに尋ねる。
「それくらいだったと思う」
 それならばアリバイがないのはナッドさん一人に絞られる。しかし、兄弟間で結託しているとすれば、アリサさんやハラルドさん、カーターさんとサラさんにも可能性はある。
「カーターさんとサラさんは、ブラッドリーが談話室に来てからはずっとその場にいたんですか?」
「いや、トイレやなんだで席を離れる瞬間はあったと思うぜ。つっても、たかが数分だ。なんとかして部屋に侵入して、殺して……って考えると時間が足りねえ……。いや─」
 ブラッドリーは何かに気がついたように言葉を止めた。それからニヤリと唇の端を上げる。
「この事件、どうやって殺したかわかったかもしれない」
「本当ですか!?」
 私は思わず身を乗り出した。
「昨日からこいつともずっと話してたからな。誰がどうやって殺したのか。たいして面白いもんもねえ館に閉じ込められて退屈してたが、ちょうどいい暇つぶしにはなったぜ」
 ブラッドリーは拳から一本立てた親指でネロを指した。
「待て。オレとヒースも推理してたんだ。先に言わせろ」
 ブラッドリーに手柄を取られては堪らないという顔でシノは口を挟んだ。
「だったら同時に犯人の名前を上げればいい」
 ブラッドリーは私を窺った。それに対して私は頷く。
 「せーの」という合図でブラッドリーとシノが犯人の名前を挙げる。彼らの挙げた名前は一致しなかった。