3章 第二の死

 私の部屋に魔法使いたちが集まったのは、日付が変わるまで一時間を切った夜更けのことだった。一人がけのソファが二つしかないので、最初に部屋に入ってきたヒースクリフと私以外はベッドに腰を下ろしている。さすがに七人が入ると、部屋は窮屈に感じられた。
「状況を整理しましょう」
 私は最初にカインとシノに尋ねた。
「マリーさんは……?」
「離れの食品貯蔵庫に運んだよ。中にあったものは台所に移して、彼女を安置した」
「魔法舎にあるのと同じように温度を下げる魔法がかかっていたから、数日は腐らないだろう」
 シノの直接的な物言いにヒースクリフが眉根を寄せた。
「遺体を運んだのはカインとシノと……」
「タリンとナッドだな。遺体を運ぶのはともかく、あのオブジェを動かすのは大変だったよ。二人で何とか持ち上げて、他の二人が彼女の体をオブジェの下から移動した」
「魔法を使えば簡単だったが……賢者の言う通り、極力魔法は使わずに手伝ってきた」
「ありがとうございます」
 マリーさんの遺体を温室から運び出すことになり、タリンさんとナッドさんの他にカインとシノも手を貸すことになった。私は二人に魔法を使わずにオブジェを動かすことが可能なのか確かめてほしいと依頼していた。二人がかりでなければ運べないほど重い物が頭の上に降ってきたらひとたまりもないだろう。
 カインは続けて報告する。
「洋服のポケットは調べてみたけど、手紙やメモの類─誰かに呼び出されたような痕跡はなかった」
 ということは彼女の意志で温室にいたのか、口頭で誰かと待ち合わせをしていたのか、はたまた呼び出しの手紙を部屋に置いてきたのか。これだけでは何とも言えない。
「おかしな点がひとつ」
「何ですか?」
「彼女のブラウスについていた血痕、本物の血の他にインクのようなものも混ざってるみたいだった」
「インク?」
 私の怪訝な顔にシノが自分の腕を上げて示した。
「このあたりの……袖口についていたのは血じゃなかった」
「血糊ってことですか……?」
「赤いインクを派手にぶちまけたってわけじゃなければな」
 シノは肩をすくめた。
「わかりました」
 私はわかったことをいつも持っている賢者の書に書き留める。
「次は俺たちか?」
 ネロに対して私は頷いた。
「とりあえずシノがぶち破ったガラスは直しておいたよ。それから─温室の鍵が開けられた時に検知できるように封印をかけてある」
「鍵は誰が持っているんですっけ?」
 私の問いにアーサーが答えた。
「温室の鍵は住み込みで働いている庭師が管理しているそうです。といっても普段温室に鍵はかけていないそうで、何故鍵がかかっていたのかは誰も心当たりがないようでした。今、庭師の鍵は使用人の住まいである西の離れに保管されています。離れ自体の鍵とマスターキーは伯爵が」
 温室の中からはつまみを回すだけで鍵をかけることができる。つまり、温室を施錠できたのは、温室の中にいる者自身とマスターキーを持つクリストフさんだけということだ。そして、今夜温室に忍び込むことができるのもまた、鍵を持っている彼だけ。けれど、ネロの魔法によって、夜間に温室の鍵が開けられたことは検知できる。
「クリストフさんに封印を解除されることは……?」
 それを聞いたネロは苦笑いを見せる。まさかあるはずがないという顔だ。
「ま、これくらいは頼りにしてもらっていいよ。賢者さん」
 私は素直に頷いた。それから皆に向かって問いかける。
「わかりました。他に何か温室で気づいたことはありますか?」
 ブラッドリーは私に向かって何かを投げた。慌ててそれをキャッチする。
「ボール?」
 大きさはソフトボールと同じくらいで、弾力のあるボールだった。
「死体の横に転がってた」
「何で持ってくるかねえ」
 ネロはため息をついた。
「俺たち以外に持ち去られるよりいいだろ。事件に関係あるかもしれねえし、ないかもしれねえ」
 ブラッドリーの言う通り事件に関係あるかはわからない。しかし、手がかりになる可能性があるそれを私は大事にテーブルの上に置いた。それからアーサーとヒースクリフに視線を移す。
「カースン家の人たちは? 本当に当主選定を続行するつもりなんですか?」
 アーサーは頷いた。
「伯爵に従う、と」
 私は思わず眉を顰める。クリストフ・カースン伯爵に対して、私はそれほど悪い印象を抱いていなかった。むしろ、人を惹きつける魅力さえ感じていた。けれど、マリーさんの死体を前にした彼は、あまりに平静で冷淡だった。
「カースン家の人たちはクリストフさんを怖れているように見えました」
 ヒースクリフは重々しく言った。私の感じたような魅力と冷淡さをカースン家の人たちが今まで感じていたのなら、そうなるのは無理もないような気がする。少なくとも私は、素直に彼のことが怖い。
「それで、どうするんだ?」
 思わず視線を落とした私に声をかけたのはブラッドリーだった。
「クリストフさんは私たちに犯人を見つけてほしいような口振りでした」
 けれど、別に私たちは警察でもなければ探偵でもない。ついさっき会った人たちを疑って回ってもわかることなどあるのだろうか。
「俺は、これだけでは終わらないと思うぜ」
「どういうことですか?」
「証拠を元に犯人として名指しされたら当主候補としての権利、そして投票の権利を奪われる。裏を返せばバレなきゃやり放題ってことだ」
 ブラッドリーはにやりと笑った。
「対立候補や対立候補に投票しようと思ってる奴を殺せば自分が有利に立てる。上手いこと罪を誰かに被せることができればさらにライバルは減る。不正だなんてとんでもねえ。これも含めての当主選定ってことだろ?」
 それは筋の通った分析だった。だから、クリストフさんは当主選定を仕切り直さず、続行すると言ったのだ。
「その上でどうする?」
 私は目の前にいる賢者の魔法使いたちを─仲間たちを見てから告げた。
「これが事件なのか事故なのか、そして事件なら犯人を明らかにしましょう。『次』がないように」
「ああ」
 カインは力強く頷いた。
「こんなことに巻き込んでしまって申し訳ありません」
 アーサーは申し訳なさそうに呟く。
「オレに任せろ」
 シノが胸を張ると、ヒースクリフはそっと私の手を握ってくれた。
「俺にできることなら力を尽くします」
「これ以上面倒なことにならないようにしないとな」
 ネロはぽつりと零すと頭を掻いた。ブラッドリーは笑って私の背中を一度強く叩く。
「ひとまず今日はゆっくり休みましょう。明日温室を調べます」
 時計の針はいつの間にかてっぺんを指していた。窓の外で雷鳴が轟く。不安を掻き立てるような雷雨の中、私たちは一日目の夜を迎える。

 

 いつもより遅く眠りについたのに、いつもより早く目が覚めた。慣れない枕のせいなのか、昨日起こった恐ろしい事態のせいなのか。おそらくはその両方だろうなと思いながらベッドから抜け出して、カーテンを開けた。雨は止んでいた。空に雲はかかっているものの、切れ間からは青空が覗いている。
「オーエン?」
 私は側にいると告げたオーエンを呼んでみた。しかし、反応はない。島まで付いてきたことは確かだが、彼からの反応は全くない。結局タイミングを逃し続けて、私はオーエンのことを他の皆に話していなかった。ブラッドリーの様子を窺うに、彼もオーエンがこの島にいることには気づいていないようだ。もしくは、飽きてしまってこの島にはもういないのか。
 これ以上考えていても仕方がないので、服を着替えて外に出る。一階の食堂に降りると美味しそうな匂いがした。キッチンを覗くとネロがエプロンを締めて立っている。
「おはようございます」
「おはよう賢者さん」
「料理してるんですか?」
「ああ。昨日貯蔵庫から出してきた食べ物が勿体無くてさ。アリサさんには昨日の夜許可をもらったよ」
 私たちが島にいる間の料理は、事前に用意されていた。クリストフさんの魔法によって、昨晩の夕食もまるで作り立てのようだった。
 コンロの上で湯気を立てているスープの香りはそれよりずっと素朴だったが、やけに食欲をかき立てられた。見知らぬ場所であってもネロがキッチンに立っているだけで魔法舎と同じ匂いがする。
「もう少しでできるよ。悪いんだけどカインとシノも呼んできてくれないか? 外にいるはずだから」
「二人ももう起きてるんですね」
「軽く外を走ってくるってさ」
 私は請け負って玄関から外に出た。外に出ると肌にまとわりつくような湿気を感じる。前日の雨でタイルは泥で汚れ、花はいくらか散っていた。
 庭を抜けたその先でカインとシノを見つけた。
「おはようございます」
 私が少し遠くから声をかけると二人は大きく手を振った。
「おはよう賢者様」
「早いな」
「あまり眠れなくて」
 シノは頷いた。
「オレもだ。信頼できない奴らに囲まれてるから」
「俺はまあまあよく寝たけど」
 森で様々な生き物を相手に生きてきたシノが周りに警戒して眠りが浅くなるのも、体力を温存するためにカインがどんな状況でも寝られるのもわかる気がする。こんな状況なのに私は小さく笑った。
「そろそろ朝ご飯みたいですよ」
 私たちは館の中に引き上げる。食堂に戻るとネロの他にアリサさんとハラルドさん、それにヒースクリフとアーサーがいた。
「お客様に食事の支度をさせてしまって……」
「いや、好きでやってることなんで」
 恐縮しているアリサさんになんでもないと首を振って、ネロは作ったスープを皿によそっている。用意されていたパンと卵料理に出来立てのスープ。昨日の晩は食事が進まなかったこともあって、私はいつも以上に朝ごはんを平らげた。結局どんな時でもお腹が空くのだということは、この世界に来て実感したことの一つだった。ハラルドさんは朝食にあまり手をつけず、スープを数口啜って部屋へと戻ってしまった。
「ハラルドはマリーと仲が良かったから」
 アリサさんがスプーンを置いてそう言った。身を守るように、肩からかけた黒のストールを胸元に引っ張る。
「二人はこの屋敷で一緒に暮らしていたんですよね」
「ええ。ハラルドは去年の秋から町の学校に通うために寄宿舎に入ったけれど、それまでは二人一緒にこの島で暮らしていたの。年も近かったし、一番ショックなのはハラルドでしょう」
「他の兄弟の皆さんはこの島来ることはあまりなかったんでしたっけ?」
「そうね。私たちはみんな結婚したり仕事を得たりして島の外で暮らしているから。一番この島を訪れることの多い私も精々年に数度」
 それなら亡くなったマリーさんと一番親しかったのはハラルドさんで間違いない。どこかで話が聞ければいいのだが、しばらくそっとしておいてあげたい気持ちもあった。
 朝食の食器を片付けに台所に行くとネロとヒースクリフ、シノが話していた。
「賢者様。ちょうど良かった」
「どうしました?」
「今のうちに温室を調べたらいいんじゃないかって話してたんです」
 確かに今のうちに温室を調べておけば、この後朝食を取りに来たカースン家の人たちに色々と確認できるかもしれない。
「それなら今から行きましょうか」
 カインとアーサーには食堂に来たカースン家の人たちから情報を集めるように頼んで、私は東の魔法使いたちと温室に向かった。
「鍵は?」
 ネロが答える代わりに呪文を唱えた。
「《アドノディス・オムニス》」
 かちゃりと錠の開く音がした。ネロは唇の前に人差し指を一本立てた。私もちょっとだけ笑って見なかったことにした。
 温室の中に足を踏み入れる。生ぬるい空気と血の匂いが漂ってきた。温室は遺体こそ運び出されていたが、昨日と全く同じ状態になっていた。
「一通り見ていきましょうか」
 改めて私たちは温室の構造を確認した。温室は六角形の形をしている。入り口から奥の方に進むと頭上が開ける。吹き抜けになっているからだ。吹き抜けになっている奥側には背の高い植物が並べられていて、彼女の遺体は吹き抜けになった一階部分にあった。
 奥まで進んでから入り口側を向くと、視界の両側に二階に上がるスロープが設置されているのがわかる。上った二階部分にも珍しい花々が並べられていた。建物の半分が吹き抜けになっている関係上、二階部分は一階の半分ほどの面積しかない。吹き抜けと二階のフロアの間には転落防止用の柵が付いていた。もっとも、柵の高さは私の膝ほどしかない。柵の内側には鉢に植えられた植物や、オブジェが並べられている。これらは私の身長と同じくらいの高さがある。軽く触ってみたが、一人で持ち上げられるような重さではない。だからこそ、この鉢やオブジェが実質的に柵の役割を果たしているのだろう。
「自然に落ちることなんてあるかな」
 ヒースクリフは私と同じようにオブジェを触った。マリーさんの上に落下したものと同じような形をしている。触ったり押したりしてみた限り、自然に落ちたとは思えない。シノが渾身の力でぐっとオブジェの上部を押した。オブジェの奥側が柵に引っかかって支点となったおかげで、わずかに手前側が浮く。てこの原理だ。しかし、そのまま押し続けてもそのまま落下させるのは難しそうだ。
「このまま下に突き落とすのは無理だな」
「そうみたいですね」
 それから反対側のスロープで私たちは再び一階に降りてきた。
「お嬢さんの袖口に付いていた赤いインクも気になるんだよな」
 ネロが呟いた。
「はい……」
 血痕ではない赤い染料。なぜ彼女の衣服に付着していたのだろうか。
「ブラッドリーが拾ったボールはどこにあったんでしょうか」
「それなら遺体のすぐ側に転がってたって言ってた」
「じゃあここら辺ですかね」
 私が指で示す。ボールが温室に転がっているのは不似合いだ。もちろんハラルドさんやマリーさんの遊び道具が紛れていただけかもしれないが妙に気になる。
「そろそろ戻りましょうか」
 一通り眺めたものの、何も結論はでず、ヒースクリフの言葉で私たちは再び館の中に戻った。

 

 食堂に戻るとタリンさんがいた。アーサーとカインは彼と話している。
「おはようございます」
「おはようございます。皆さん早いですね」
 タリンさんは私たちに向かって微笑んだ。
「目が覚めてしまったので」
「そうでしょうね。本当にこんなことになり申し訳ない」
 彼は目を伏せた。
「タリンさんは普段どちらにお住まいなんですか?」
「俺は皆さんと同じですよ。中央の国の王都に住んでいます」
「そうだったんですか」
「はい。城下にある経済学の研究所で研究員をしています」
「どこかですれ違ったこともあったかもしれませんね」
「そうですね。ああ─パレードを見に行きましたよ。だから、昨日お会いできた時は、嬉しくなりました」
 タリンさんは私と一緒に館に戻ってきた魔法使い達にも会釈した。パレード、という言葉にネロとヒースクリフは気恥ずかしいという顔をしている。
「実際に見てた人に会うとちょっと……なあ……」
「わかるよ……」
 私は続けて質問した。
「この島は久しぶりですか?」
「久しぶりです。この家を出てから戻ったのは一度か二度、それも十年近く前のことですね。父や兄弟とは港町にある屋敷で顔を合わせることはありますが、それも精々一年に一度でしょうか」
「あんたたち、仲悪いのか?」
 切り込むような問いかけをしたのはシノだ。慌ててヒースクリフが彼の口を塞ぐ。
「シノっ!」
「いいですよ、気にしてない。そうだな─父のことは皆苦手にしていると思います」
 タリンさんは手の指を組み直した。
「父はこの家で圧倒的な強者でした。領地を治める才能があり、人を惹きつける魅力があり、その上魔法まで使える。父が何かしなくても、俺たちは『この人には敵わない』『この人に逆らえない』と思わされるんです。だから、息苦しくなって家を早々に出ていくのかもしれません」
 孤島という環境も余計にそうさせたのかもしれない。これまで話を聞いていて、カースン家の人たちは父親から逃げるように家を出て行っている印象があった。
「兄弟間ということであれば、俺とナッドは普通だと思いますよ。一緒に育った普通の兄弟です。ただ、上の兄や姉とはそれこそ年に一度顔を合わせるくらいでしたからね。遠い親戚のおじさんやおばさんという感覚の方が近いかもしれません」
「なるほど」
 一緒に暮らしておらず、しかも二十以上年が離れていたらそうなるかもしれない。
「ハラルドとは一緒に暮らしていたことがあるのでやはり可愛い弟です」
 タリンさんは小さく笑った。
「俺とナッドの母は俺たちがまだ小さい頃に亡くなったのですが、その後に父が結婚した女性─ハラルドの母は俺たちを実の息子のように可愛がってくれました。ハラルドとは腹違いとはいえ、俺たちは三人兄弟という感覚です。この家を出てからも、ハラルドのことは気にかけていましたよ」
「マリーさんとは?」
 私が尋ねると彼は首を横に振った。
「マリーは四年……五年だったかな? それくらい前に父が島に連れてきたそうなんです。実は一度も会ったことがなくて」
 タリンさんは深く息をついた。
「まさかあんなことになるとは……」
「すみません」
 私は咄嗟に謝った。
「いえ……。俺より一緒に過ごしていた時間の長かったハラルドの方がずっと辛いでしょう。ちょっと部屋を見てきます」
 食堂を出て行ったタリンさんとすれ違いでアリサさんが食堂に入ってきた。
「すみません……」
「どうかしましたか?」
「父の部屋をノックしても反応がないのです。この時間ならとっくに起きていると思うのですが……」
 昨日の今日だ。私はなんとなく嫌な予感がした。
「部屋に行ってみよう」
 カインが素早く答えた。
「一緒に来ていただけると助かります」
 アリサさんを先頭に俺たちはクリストフさんの部屋に向かう。
「ネロ。ブラッドリーを起こしてきてもらえませんか?」
 念のため、賢者の魔法使いが揃っていた方がいいだろう。杖をついているアリサさんを先頭にしているので、はやる気持ちとは反対に、私たちの歩みは遅かった。これなら、今から呼びに行っても間に合うかもしれない。
「わかった」
 ネロは二階で俺たちと別れてブラッドリーを呼びにいく。その間に私たちはさらに三階へと進んだ。三階に上がるのは初めてだったが、ほとんど二階と変わらない作りをしている。
「父の部屋はここです」
 クリストフさんの部屋は海側にあった。向かって一番右手奥の部屋。アリサさんは扉を叩いた。しかし、中から反応はない。カインがアリサさんに尋ねる。
「鍵は?」
「かかっています」
 カインも念のためドアノブを押し下げてみるが、鍵がかかっていて、少ししか動かなかった。
 そこにネロとブラッドリー、それからサラさんが姿を現した。彼女の部屋はクリストフさんの部屋の斜向かいにある庭に面した部屋だった。
「返事がないって?」
「はい」
 私はブラッドリーの問いに答えた。
「お父様に何かあったの?」
 サラさんが眉根を寄せた。彼女にはアリサさんが答える。
「わからない。念のため賢者の魔法使いの皆さんに来て頂いたのだけど」
「合鍵はないのか?」
 ネロが訊いた。確かこの屋敷にはマスターキーがあったはずだ。
「マスターキーは父が管理しています」
「ってことは、マスターキーもここの鍵も部屋の中ってわけか」
 アリサさんは頷いた。
「鍵を壊していいってんなら一瞬だ」
 ブラッドリーの手の中には魔道具がある。アリサさんは頷いた。
「お願いします」
「《アドノポテンスム》」
 シャンパンの栓が抜けるような乾いた音がした。
「開いたぜ」
 ブラッドリーがドアノブを下に引いた。扉は簡単に開いた。
「お父様」
 アリサさんが部屋の中に向かって呼びかけた。返答はなく、彼女を先頭に部屋の中へと入った。内装は私たちの使っている部屋とは少し異なっていた。室内は引き戸の間仕切りで分けられ、ドアに近い手前側は長いローテーブルとソファが置かれている。ソファは三人掛けのものが向かい合わせに並んでいた。壁際には酒瓶の並んだ棚もある。
 間仕切りで仕切られた部屋の奥側へとアリサさんは向かう。私もその後に続いた。奥側は寝室だった。ベッドとサイドボード、それにクローゼットがある。
「お父様……?」
 アリサさんがベッドの上にある何かを拾い上げた。私は最初何が起きているかわからなかった。ベッドの上に人影はなく、ここにもクリストフさんがいないなと思っただけだった。けれど、よくよくベッドの上を見ると、そこに細かく砕けた石があった。
「マナ石……」
 手前側の部屋を調べていた魔法使いたちもこちらの部屋に集まってきた。彼らはベッドの上に落ちた石を見つけると、一様に「ああ……」という顔をした。
「どうしたの?」
 サラさんは何が起きているかわからないという顔で寝室に入ってきた。
「魔法使いは死ぬと石になる」
 そう言ったのはブラッドリーだった。それならば、この石は遺体だ。おそらくは、クリストフ・カースン伯爵の。アリサさんはまだ信じられないという顔で石を見ている。
 部屋の奥にはバルコニーへと出るための窓があって、そこから吹き込む風が私の髪を揺らした。窓は開いていた。部屋の中には、扉の鍵を壊して入ってきた私たち以外の誰もいなかった。あったのはただマナ石だけだ。
「まさか当の本人が死んじまうとはな……」
 ネロの言葉は私たちの気持ちを代弁していた。

 

 一階の食堂に、この館にいる全員が集まっていた。賢者の魔法使いたち。それから、アリサさん、カーターさん、サラさん、タリンさん、ナッドさん、ハラルドさん。
「伯爵の部屋からマナ石が見つかりました。おそらくは、伯爵のものかと」
 アーサーがクリストフ伯爵の部屋に立ち入った経緯を説明すると、カースン家の人々は驚愕の表情を浮かべていた。死体がないだけに、現場を見たアリサさんとサラさんすらまだ信じがたい気持ちでいるのだろう。サラさんはスカートをぎゅっと握っていた。
「当主選定の儀は延期しましょう」
「いいえ。当主選定は予定通り明日行います」
 アーサーの言葉に反対を示したのはアリサさんだった。
「父からは何が起きても当主選定をやり切るようにと指示されています」
 彼女はテーブルの上に一通の封筒を置いた。
「これは私がこの島に着いた時に父から渡されたものです。何かあった場合も当主選定を続けること、万が一自分が当主選定の進行ができなくなった場合は私に託すことが書かれています」
「拝見しましょう」
 アーサーが封筒を手に取った。私に文章は読めないが、最後にサインと印章が押されているのはわかった。
「正式な委任状ですね」
「クリストフさんはこうなることを予期していたんでしょうか?」
「流石にそこまでは……」
 アリサさんは首を振った。
「父の遺体を発見した経緯をお聞かせいただけませんか?」
 カーターさんの質問に俺たちはマナ石を見つけるまでの経緯を説明した。アリサさんがクリストフさんの部屋をノックしても応答がなかったこと。私たちで彼の部屋の前まで行ったところでサラさんと合流したこと。部屋の鍵を壊すことにして、中に入ったこと。それから、ベッドの上でマナ石が転がっているのを見つけたことを話した。
「部屋の鍵は?」
 言われるまで私は完全に鍵のことを忘れていた。
「部屋の手前側にある棚の上に置いてあったよ。マスターキーは同じ棚の引き出しの中」
 答えたのはネロだった。彼は鍵をテーブルの上に並べた。食堂に集まる前に確認してくれていたらしい。
「ということは、父の部屋に出入りすることができる者はいなかったということになりますね」
 そうだ。クリストフさんの部屋には鍵がかかっていた。開けられる鍵は全て部屋の中。バルコニーに続く窓は開いていた。しかし、バルコニーの外は海。外部からバルコニーを通って出入りできただろうか。
「その辺りはこれから確認しよう」
 カインはそう言って、食堂のテーブルに着いた一堂を見渡した。
「当主選定の儀を続行するなら俺たちはあんた達を調べなきゃいけない」
 カースン家の人たちはほぼ頷くか、黙って手元に目線を落としていた。唯一声を上げたのは今まで黙っていたナッドさんだった。彼は鳶色の瞳で私たちを睨みつける。
「なんでこいつらに嗅ぎ回られる必要がある」
 彼は嫌悪を剥き出しにして言った。昨日から彼の目線には随分と棘があった。
「なんなら、こいつらがマリーと父さんを殺したんじゃないのか」
 嘲笑が嫌に耳にこびりつく。大事な仲間を馬鹿にされた怒りと悲しみがないまぜになって、さっと顔に熱が上るのを感じた。
「私は中央の国、第一王子アーサー・グランヴェル。クリストフ・カースン伯爵の要請で当主選定を見届けるためにここまで来た。王子を呼びつけて今更不満でも?」
 アーサーはいつもよりも大きな声できっぱりと告げた。ナッドさんは気圧されたように唇を引き結ぶと、乱暴に椅子を引いて食堂から出て行った。あたりはしんと静まり返る。アーサーもばつの悪い顔をしていた。口を開いたのはアリサさんだった。
「弟の非礼をお詫びします、殿下。そして皆さんも」
 彼女は深々と頭を下げた。
「お気になさらず」
 アーサーは微笑んで、彼女に頭を上げるようにと促した。
「父亡き今、次のカースン家当主を決めるのは急務」
 カーターさんはそう言うと一度顎を撫でた。
「どうか最後までよろしくお願いします」
 私は頷いた。
「この後、カーターさんの部屋と屋敷を調べます。皆さんにお話を聞く必要もあると思いますが……」
「もちろんです」
 カーターさんが即座に請け負った。サラさんも頷いている。ハラルドさんは微動だにせず、肯定も否定もしなかった。
「弟がすまないね。ナッドのことは、何かあれば俺を呼んでくれ」
 タリンさんはそう私たちに言った。ナッドさんに何か聞く必要があれば頼ってみることにしよう。
 私は魔法使いたちを見る。皆どこか浮かない面持ちで、けれども彼らは私から目を逸らさなかった。
「クリストフさん殺害について調べましょう」